2013年3月2日土曜日

お水送り

 2013.3.2(土) 福井県小浜で春を告げる行事"お水送り"を観ました。

(写真をクリックすると大きく拡大できます)
神宮寺 韃靼
 2013.3.2(土)18:30 陽が落ちて暗くなった神宮寺のお堂の中に、白装束の僧や山伏たちが入って行きました。
お堂の中から経文を読む声が聞こえてきます。
その後、床に身体を打ち付ける五体投地の音が聞こえ、バタバタバタ…とけたたましい"走り"の響きが続きます。
何も見えませんが、音から中で行われている修二会の様子を伺い知ることができます。

やがて境内の電灯が全て消え、お堂の中に韃靼の松明の炎が明るく見えてきます。
韃靼の松明
その大松明を持った赤装束の僧が徐々に内陣から外へ出てきて、端から端へとその松明を振りかざして持ち歩き、外陣の欄干から炎を差し出すように振り回しました。
お堂から僧たちが
 その大松明はお堂から境内へと降りてきて、お堂の中にいた大勢の僧や山伏たちが続いて外に出てきました。
境内の閼伽井(あかい)の近くに作られた大護摩へと向かいます。
神宮寺境内の大護摩
大勢の白装束の僧が大護摩の前に並んで般若心経を唱え、護摩の四隅を順に斧を振り下ろしたり、弓を射ったり、刀で切ったりしました。祓の意味なのでしょうか。
そして、いよいよ大護摩に火が入りました。
時々、ブスっとくすぶったり、ドスっと爆発したりしています。
神宮寺の大護摩
強風に煽られて、火は大きく空高く燃え盛ります。
境内の木々に燃え移らんばかりで、これを見ている大勢の人々にも容赦無く火の粉が降り注ぎます。
(全国的に風がとても強い日でした)
大護摩の火が小さくなってきたところで、大松明、中松明の順に大護摩の火から火を取り、境内の外へと出て行きます。

いよいよ私たちが持つ手松明の番。
炎の消えた大護摩に手松明を突っ込んで火を取り、大護摩から離れようとしますが、ぎゅうぎゅうに人が詰めてきていてそれもままならない。
火の着いた松明を持った人が、ひしめき合う人々の中で身動きが出来なくて危ない状態です。
私たちも何とか境内の外へと出ていきます。
手松明を持って鵜の瀬へと向かう
境内を下る道は、たくさんの手松明の灯りでとても明るくなっています。
この温かい灯は、現実離れした不思議な雰囲気を演出しています。
松明の灯が神宮寺から鵜の瀬へと続く
境内から公道に出ると、先頭の大松明からの灯りが一筋の線のように繋がっています。
わぁ~っと声を上げるほど幻想的な光景です。
大勢の人々が松明を手にして、遠敷川(おにゅうがわ)に沿って約2㎞の道を歩いているのです。

例年、この道を歩く一般参加の人は約3,000人と言われています。
今年は土曜日にあたっていることもあり、約4,000人と予想されているそうです。
(小浜市は人口約30,000人ですから、その1/10がここに集まる計算)
とてもたくさんの人が神宮寺の境内にいたのだ ということに気づかされます。
鵜の瀬の大護摩
鵜の瀬(うのせ)に到着した大松明から、鵜の瀬に設けられた大護摩に火が移されて、先程の神宮寺と同様の神事が行われているようです。
何せ大護摩の煙と熱が凄くて、ほとんど目を開けていられません。
遠敷川を渡る
鵜の瀬での神事が終わったのか、今度は僧や山伏たちが今日だけかけられた橋を対岸へと渡っていきます。
祝詞をあげる
対岸でもまた神事が行われ、遠敷川の岸で神宮寺のご住職が祝詞をあげます。
遠敷川に水が注がれる
そしてご住職は、神宮寺の閼伽井(あかい)から汲んだお香水(こうずい)を遠敷川に注ぎます。
これがこの神事のクライマックスです。

注がれたお水は、鵜の瀬の水中洞穴を通って、10日後、遠く離れた奈良 東大寺二月堂の”若狭井”に届くとされています。
その閼伽水(あかみず)を取り、二月堂の仏に供えるのが有名な”お水取り”です。
毎年、小浜の”お水送り”は3/2、奈良の”お水とり”は3/12に行われます。


2年前、東日本大震災後のゴールデンウィークにも”神宮寺””鵜の瀬”を訪れました
その時に想像した光景が生き生きと目の前で繰り広げられて、印象深く心に残りました。
日本の神仏混淆の姿をまさに見たという気がしました。
仏教が遥かシルクロードを通って中国・朝鮮、そして日本の玄関口 小浜から日本に渡り、更に鯖街道を通って遠く奈良にまで伝わっていった、その道のりに想いを馳せました。


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